Thursday 14 June 2012

脱臼した時間

昔日本でキャンプにいった時にたまたま見つけた小さなギャラリーで
写真展が開催されていた
俺は写真の事はよくわからないし
評論家みたいに
いろいろな写真家の名前をならべたくもない
けれども
そこに写っていた知らない女の人の顔
風に吹かれて髪が靡いていて
後ろで鳥が飛んでいる 白黒の写真
シビルベイヤーの歌声みたいな雰囲気のある写真たちに
ドイツ語でタイトルがついていた
脱臼した時間
ハムレットの台詞からとったらしいそのタイトルは
キャンプの最中、
焚き火をしても
水を汲んでも
犬が川に飛び込んでも
ずっと頭から離れなかった

よく見ると古屋誠一という写真家の写真で
その昔、シベリア鉄道でドイツにわたった人
写真はどれもこれも素晴らしかった
ドイツ人の奥さんのクリスティーネのことを
ひたすらにとりつづけたメモアールという写真集をめくった
なんとも憂愁と風が耳の後ろを流れる様な空気感
個人的に大道なんかよりも素直に入ってくる感じがした

写真展のパンフレットをよんでいくと、
その写真達の物語に衝撃を受けた
80年代の半ばに東ドイツの建国記念日に
クリスティーネは家族を残して
突然アパートの9階から身を投げてしまう
その時から古屋誠一がとってきた写真の意味も全て変わってしまう

それから20年、彼は奥さんの写真をみることも
死ぬ前に彼女が残した手記を読む事も拒み、封印し続ける
それは想像しがたい地獄のような
身の置き所のない
時間の経過だったに違いない

 年代が立つにつれて、写真の中の彼女の目が病んでくること、
残された手紙の内容自体がただただ胸を締め付けてくる
しかしそれ故にそのポートレートに向き合った彼の目線がとても綺麗だ
悲しい過去と未来に繋がっている現実を直視した事実が
そこにあり、それをみている自分がまた、写真の意味の一部になってくる

写真の向こうに写っている人はもうこの世にはいない
路上マーケットによく売っている何十年も前の写真をみると
時折そう思う
何処の誰かもまったく不明な家族の写真
写真の向こうの人もこっちをみて笑っている
昔はそんな写真をみると異様に悔しかった
なぜみな笑っているのに、自分はそこにいないんだと
時間と歴史の間に取り残された様なうんざりした気分になった

でも古屋誠一の写真をみていたら
こっちが写真をみるだけじゃないんだと思った 
写真の人もこっちを眺めている

ぼーっと眺めていると
母親が若かった時に好きだったニーチェの言葉を
ある特殊な空気と一緒に思い出す
「深淵をのぞく時は気を付けなければいけない、
なぜなら深淵もこちらをのぞいているからだ」














 















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